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カナダ・アメリカの生活、ランニング、映画、SF、政治、オタク度何でもあり。続けられたらよし。
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2週間ぐらい前に小津安二郎の『麦秋』を見た。1951年の作品である。戦後まもないが、かなり発展した東京の様子が見れて、何だか少し不思議な気がする。ストーリーとしては、一人のOL(当時はそんな言葉ではなかったと思うが・・・)とその中流家族の様子が描かれている。結婚適齢期と思われるその女性を家族は婉曲に結婚を援助するのである。が、最終的には彼女自身が家族に相談せずに勝手に結婚するのを決めてしまうというようなものだ。

ストーリーには、劇的なものがない。だけど、この日常性を描いたのが小津と言われている。前にも確か「東京物語」「早春」「秋刀魚の味」とか見たことがある気がする。こういった作品もどちらかと言えば、家族の日常生活を描いている。その時はあまり何も思わなかったが、意外と『麦秋』では、当時の女性の声を反映しているのではと思った。ある意味、独身のワーキングウーマンが、自分の意志で決めて結婚して行くというのは当時ではまだまだ難しかったに違いない。またこの女性と小姑(義理の姉)の絆が深いというのも面白い。兄妹直接話すよりも、女同士で話す方がよいような設定。普通なら、とっても仲が悪いように描かれている。(だけど、この家族あんまりけんかしないんだよね。ただ甘やかされた子供はめちゃくちゃ叱られる場面がある。)それに、女友達の関係。既婚者、未婚者というふうに分かれていってしまうようなところも描いている。さらに、家族の形態の微妙な変遷を捉えてもいる。特に、父子関係がただ単なる権力のある関係から変わってきつつ面も描き、最終的には核家族へと家族形態が変化しているのもいち早く取り上げている気もする。そして、やはり戦後だけにこんな平和な家族を描けるのも意味があったに違いない。

とっても日常的な所に、意外とリベラルなメッセージが含まれているのかもしれないな。というのが、私の率直な感想。

そう、小津作品をまた見てみようかなとも思ったのも、例の少女マンガのトークに行った時に買った色々なマンガ論評が書いてある中に、小津と「エヴァンゲリオン」の監督の庵野秀明監督の作品の「Love and Pop」(1998 邦題よく分かんない)が両方ともローアングルで撮られていることを話していた。この地面からギリギリのところで撮られるローアングルというのは、日本のイメージ独特の物らしい。小津が確立したものらしいが、この日本のお茶の間、ホームドラマと言えば、このアングルで撮られていることが多いせいかあまり気にしたことがなかった。だけど、Wにとっては、馴れるまでに時間がかかったと言っていた。なるほどね〜。今まで思ったことがなかったが、言われてみると!それも確認したくて小津作品を見てみたかった。そうすると、そのアニメがローアングルで撮られていることもとっても気になり始めた。

それは、さておき、この作品に出ていた俳優たち。日常を演技するってのも意外と微妙で難しいと思う。笠智衆は寅さんシリーズの「男はつらいよ」でおなじみだが(今の世代の人は知らないか・・・)彼も小津の映画にはよく出ている。そして、左が原節子。右が淡島千景。いやあ、何だかこの時代の美女には味がある気がするね(かなりオヤジ入ってるな〜)。原節子はきっとこの役柄よりももっと他の作品の方が演技の味があるのかもしれないが、やはり彼女の美しさには参った。何て言ったらいいのか分からないけど、今の女優にはいないタイプのような気がする。もっと彼女の作品が見てみたいね。淡島千景は年取ってからも時々テレビに出ていたよね。いやあ、かわいらしい。だけど、何だろう、当時の女性としては、芯のある感じ、ちょっと突っ張りがある感じで面白い。もと宝塚出身なだけあって、いろんな演技ができそうだね。余談ですが、あの手塚治虫の「リボンの騎士」のモデルは彼女だと言われていることを初めて知った。そう言われれば、何となく雰囲気があると思う。

この二人が秋田弁でしゃべるシーンがあるんだけど、これが面白い。実際に秋田の人に言わせたら、どうなのか分からないけど、すっごく上手に聞こえる。この為にかなり練習したのかなと思わせる。

ここまで書いて、趣旨は何だったんだろうと自分でも思うが、また小津作品を見るのもいいかなと思い始めた。この時代の作品、溝口、もちろん黒澤もやっぱりよい作品が多い。

ちょっと前だけど、生誕100年のウェブページ
http://www.ozu100.jp/
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いよいよ、マラソン当日。起きてみると、絶対雨やわ〜。さっきも雨降っている音したしぃ・・・と思い、外を見ると、あっ、止んでいる。ラッキー しかもジョグしている人がいる。長袖にベストと思っていたが、急きょ半袖に変更。気が付くと、おっと、もうこんな時間。スタートは8時半、いつもより明るい!近いとはいえ、ちょっとウォーム・アップをしに早めに出る。スタートラインでは、既にたくさんの人がいた。同じマラソンクリニックの人がいるかな〜、はrさんいるかな〜と探してみたがどうでも見当たらない・・・と思っていたら、同じクリニックのErinaがいた。たまたま同じホテルに泊まっていたらしい。彼女にとっては、初マラソンだけど、とっても強くてよいランナーだ。『着いて行くわ、行ける所まで!』と彼女。心の中でポソッと「えっ、プレッシャーやん。私2回目だけど、リードすんのぉ?まあいいや、自分のペースでいくしかないしぃ」実際には『いいよぉ、だけど、始めは遅いペースでいくからね〜!』と・・・ 心のつぶやき「とほほ」そうしていると、昔一緒に走っていたBrittneyが!久しぶりに会えてとっても嬉しかった(ちなみに、今彼女はNike Loungeのマネージャー!)余裕綽々の記念撮影を終えた後、いよいよスタート!太陽が見えて来た。

今回のマラソンでも、やはりお決まりの10分ラン、1分歩きを取り入れた。これで、エナジーを貯金できるし、速く走り過ぎたとしても調節できる。それから、いつもこの歩きを調節したペースバントを左手にはめる。今回は3時間45分。これで自分のペースが速いか遅いかチェックできる。歩きもいれているので、1キロ5分4秒ペースだ。歩かなければ1キロ5分20秒ペースだ。スタート地点から出て、州議事会堂手前で、はrさんを見かける。会えてよかった。始めの一キロは5分30秒ぐらい決して速いペースではない。まだまだ体が覚めていないのか、呼吸さえ苦しく感じ、調子がとってもいいとは思えない。Erinaもいるし、ある程度話しながら走る。天気がいいし、とっても気持ちいいねと。そして10分始めの歩き、ここで、早速ポカリスエットを少し補給。今回はゲートレードから変えて、ポカリに。20〜30分過ぎた辺りからようやく少しだけ調子があがって来た感じ。いやあ、意外に暑い?

5キロあたりからはくるくると公園の中を回る。これがちょっとしたアップダウンのヒルだ。Erinaは結構登り坂でとばしていたので、「行きたかったら行っていいよ!」と。だけど、彼女も「いや、一緒に行くよ」私は最初上り坂は抑え気味で、下り坂は重力を利用して降りるというところに気を付けた。5キロは26分〜27分ぐらい。ペースとしては、ある程度3時間45分ペースで行っている。それから、インストラクターの言葉を思い出し、できるだけボランティアの人へ"Thank you!"ということにした。やはりこれは自分をポジティブにしてくれる感じだ。ようやく8キロを過ぎて、海沿いに出て来た。晴れて来ていたので、とってもきれい。こんな風景をずっと見ながら、走るのはやはりビクトリアの醍醐味だ 40分〜45分の間にジェルを補給。早めに早めに取る作戦。10キロ地点、少しペースより遅れているが、焦らず行こう。しばらくして、海沿いからおさらばして、郊外の中へ。ここで、家族なのか友達なのかお家の前でビールをサーブしてる。いやあ、飲めたらいいけど「帰りにね」こんな感じで、ビクトリアの人たちは街をあげて応援している感じで、とっても暖かい。Oak Bayの商店街を過ぎ、またまた海沿いへ出てくる。ほんと美しい この辺りで、早く始めたマラソンランナーが帰ってくる。"Nice Work! Good Job! Way to go! Looking Strong!"な〜んて、時々声をかける。まだ自分に余裕があるみたい。しかもこれって自分に励みになる。

18、19キロ地点だったかな?電光掲示板の車が見えて来た。おっ、トップランナーが帰ってくる。もう28キロ?思わず、声援を!同じバンクーバーアイランドにあるナナイモ出身の去年の優勝者だ。さすが しばらくしていると、うわ〜、Aaronっていうカイロプラクターの彼が見えて来た。はや〜。名前を呼んだけど、集中しているのか聞こえなかったみたい(彼はちなみに2時間49分)。20キロ地点では、1時間47分ぐらい。悪くないな。で、走るフォームをいつも教えてくれるKenjiが見える。優雅に手を振っている。だけど、速いんだよね、この人(3時間3分)。しかも招待選手?いや、この人のように走れるようになったら、きっともっと楽な気がする。

いよいよ、ハーフポイントに辿り着く。が、その前の時点からErinaが後ろから来なくなる・・・どうした!?「フィニッシュラインで会おう」って彼女が言ったので、遠慮なく前に走り始めた。私はこの辺で調子が上がって来たので、少し上がった地点では行くしかない。ここからは一人旅。意外とここまでペースを保ってこれたのも、彼女がいたからもしれない。ハーフタイムは1時間53分。ちょっとペースが遅れている。少し取り戻すかな。だけど、あれ、先程から上からの液体を感じているのは私だけ・・・くそ〜、か。せっかく雨女の汚名を返上できると思ったのに・・・23キロ過ぎて、折り返し地点に。しばらくしていると、あっ、まだErinaはすぐ後にいた。25、26キロと行くうちに、いろんなマラソンクリニックの人にあって、ハイファイブ!はrさんともハイファイブ!結構こういうのって元気がでるよね。だけど、やっぱり坂のアップダウンは結構ある。ちょっとペースを上げたせいか、しんどいなあ。しかも、雨がひどくなってきたので、脱いでいたベストを着ることに。だんだん、靴にも雨がしみ込んで来たのか、水しぶきが靴から出ているのが見える。

29キロ地点辺りは、何故だか一番しんどかった。なんとなく、右のふくらはぎが気になる。硬直しなければいいが・・・夜にはちょっと筋肉がピクピクしてたから。なので、1分歩きが来たけど、下り坂はそのまま走り、後から取る。ようやく30キロ、2時間40、1分。このままでいけば、かなり順調なペースで来ている。ここから、本当にカウントダウン。だんだん、寒くなって来た。雨が降っていても、外で応援してもらえるのは、ありがたい!家族全員で、お家の前にいすをならべて応援している。たまたまちょうど歩き。「ハニーデューメロン食べる?」と若いお姉さん。「食べる」「残り一つよ、シスタ〜」って言われて、かなり元気が出た。普通なら食べないと思うけど、疲れていたのかとっても美味しかった 32キロからは逆算。あと10キロということは、あと50分走ればゴールが見える。だけど、また気は許せない。あの魔の35キロを過ぎないと・・・ここからは、1キロ1キロ辿り着くことに焦点を。35キロ達成!3時間7分ぐらい。あ〜まだあの小悪魔はやってこない。ホッ。そして、また海沿い、このままいけば、これでゴールに辿り着く。しかし、だんだんと筋肉が固くなってきているのを感じる。歩きをやめようか・・・あと、もう1回ジェルを取らなくては。ちょうど給水地点が見え、ここで水をもらい、ジェルを補給。だけど、しくじって、靴に水をかける。いやあ、さらに濡らさなくてもいいのにな〜。いやあ、今日は水を飲むのが全然うまくいかない。鼻に入っちゃう。もうここからは歩きを入れるのを止めて、走り続けた。歩きをいれたら、もうリズムが崩れる。走り始めるのが大変だ。

この辺りでは、結構ペースが落ちている人、歩いている人、足が痛そうな人をたくさん見た。だけど、自分のペースで頑張ろう!そう、あの世界陸上の大阪大会の「土佐玲子」を思い出した。彼女は最後の最後まであきらめないで、粘った。ここから最後までは「土佐玲子」「土佐玲子」と呪文のように、頭の中で繰り返していた。そうしていると、Good Work!と見知らぬランナーが言ってくれた。ありがとうと言えたのか覚えていない。この辺はもうボランティアの人に感謝の言葉を言う余裕などなくなっていた・・・

39キロ地点、あと3キロ、15分だけの我慢。ついに40キロ。あと10分。ここからはコーナーを曲がって、曲がっていけば、ゴールへ着く。あと1マイル地点。もう少し!何となくざわめきが聞こえる。あれ、あと1キロ地点は?そう、1キロ地点になったら、ベストを脱ごうと思っていた。というのも、下のシャツにゼッケンを貼っていたので、写真もこれでちゃんと撮ってもらえるし、名前も最後に呼んでもらえる!(何故かこの辺はかなり冷静。先程37キロ地点でカメラマンをミスったし。)もういい、脱いでおこう!と思えば、あと200メートルっていう声が、最後の力を振り絞るしかない。フィニッシュラインが遂に見えた!手を挙げてフィニッシュ オフィシャルタイムは3時間45分33秒。ということは、45分切った! あんまり期待していなかったせいか、ちょっとびっくり。で、オーガナイザーがそれぞれのランナーに握手していたのも、感動した。しかも、彼は私の名前を間違えのない発音で言ったので、なんとも言えなかった!


正式チップタイムは3時間44分40秒 やった、20秒だけど、きった!しかも、自己新なり。今回は初めてに比べると、とってもいい走りができた。まだ最後にも少しエナジーが残っていた。びっくりしたのは、始めのハーフ(1時間53分5秒)よりセカンドハーフ(1時間51分36秒)の方がちょっと速かったこと。いやあ、小出監督伝授ビルドアップ走はいけている。(といいつつ、読んだのは最近だろって)フィニッシュラインではいつも彼がビデオを撮ってくれる。前回に比べれば余裕の残ったリラックスした走りだったようだ。

今回のよかったことを勝手気ままに分析:
*最初のハーフを抑えて走ったこと。だけど、ペースにそれほど遅れることなく。
*上り坂抑え、下り坂重力作戦
*ジェルを40分〜45分刻みに補給(ペースバンドに補給地点記入)
*ゲートレードからポカリスエットに変えたこと(お腹があまり痛くならない)
*スピード練習を少し増やしたこと。テンポランで、最後にスピードを上げること。
*ボランティアやランナーに声をかけていたことでポジティブに!
*土佐玲子呪文作戦


私にとっては、ビクトリアは結構相性のいい大会なのかもしれない。欲が出て来たので、今度はボストンマラソンの公式資格タイムを切りたいな。(3時間40分!35歳からは3時間45分。いやあ、誕生日の方が早いかも。)今度は東京マラソンだ!


いよいよ、ロイヤル・ビクトリアマラソンへ向けて旅立つ。10月6日の朝、早起きの苦手は二人は目覚まし時計と格闘し、懸命に起きる。とっても、空はグレイで、雨しとしと まあ、今日は許そ〜。明日晴れてくれたら、だけど、天気予報によると、ざあざあ降り。これだけは外れてほしい。去年ぶりのビクトリアだ。去年はハーフマラソンに参加。だけど、この時も雨。

本来なら、ランクラブの人と一緒に車で行くはずが、彼Wは他人の狭い車がダメ・・・なぜなら、ずーたいがデカイから、足が伸ばす所がない・・・まあ着いて来てくれるんだから、この辺は聞いておいた。で、フェリーからエクスプレスバスへ乗る。そこで、車が出て行くデック2へ。めちゃめちゃ寒い。しかも、この写真のグレイさ・・・もう少しで、バンクーバーアイランドへ上陸。

バスに乗ったはいいが、Wはトイレ我慢して、降りるまで、葛藤 しかも渋滞やん。私はそれを横目に どうでも口を開けて寝ていたらしいが、彼のなが〜いには格闘はおかまいなく、爆睡(私の母曰く、どこでも寝れる人・・・羨ましがられる)。ビクトリアダウンタウンへやって来た!ホテルへ直行。お昼には到着。本来なら、チェックインは4時らしいが、ここは入れてもらう。いやあ、Oswego(オスウェゴ?)ホテルという6月にオープンしたばかりのホテル。それが、日本に帰る前の日に去年泊まったホテルに電話したら、もういっぱい。えっ〜。しかも、あんたら、$40以上も値上げしたっしょっ。かなりふつ〜のホテルなのに・・・そう、それで日本帰国後、空いていたとこ。値段は値上げされたものとほぼ同じ(ちなみに、$172。全く安くないけど、ホテルがなかったのさ〜・・・もし行かれる方は年々人気が増しているようなので、早めに予約を!しかも割増してるから〜、ふつ〜のホテルでも)。だけど、新しいせいかびっくり!キッチンも鍋から用具もすべて揃っていて、とってもきれい。つい写真を撮ってみた。だけど、結構ね、新しいせいか不備もあったけど、エレベーターに乗ってもホテルの従業員が挨拶してくるのには驚いた。ここで評価を作るっていうのか、新しいホテルのせいか、みんなの努力が伺える。まずまずいいんじゃあん。しかも、スタートラインまで2ブロックの近さ!だけど、わたしゃ〜、走っていてほとんどいる時ないけどね〜。

お昼を食べ、EXPOへ。ニューバランスのテックの長袖シャツは結構よかった。そうそう、バンクーバーにある日本人ランニンググループのRunning Smileで知り合ったはrさんもこのビクトリアを走る。そういえば、彼女電話くれるって言ってたけど〜、どうしたかな〜。この後、かなりWはお疲れで、お昼寝するといい、ホテルへ戻る。その前にはrさんから電話がきて、ダウンタウンへ向かっているとか!よかったあ。そして、Expoに向かうが、あれ?どこ?あっ、見つかった。この後、お茶でもということでしたが、ず〜ず〜しく彼らのホテルまで行く。そこで、息子さんのマックスくんは車大好きだと発見。しかも、すっごい詳しい。すごいね〜私には全く違いが分からない 一応夕食にWと行くと約束していたので、どうでも彼らを焦らせてしまったけど、モールに行き、トイザラスへ。明日のこととかゆっくり話せばよかったんだけど、ここにいる時にWから電話が。しかもトイザラスにいることが分かると、ちょっとあれこれ探してっていう催促が・・・あの〜、私、人と一緒なんやけど〜。で、帰る時間となってしまい、レストランの近くまで送ってもらう。(悪かったね〜

そうそう、人気のイタリアンレストランPagliacchi (スペルは怪しい)へ。去年もここで食べた。行くと、もう既に行列が・・・さむ〜。だけど、待っている人たちに、赤ワインが登場 明日レースなのになあ〜。まあ寒いし、ちょっとぐらいいっか〜(小悪魔登場)と少しずつ飲み始める。と思っているうちにWが来たが、いやあ、1時間ぐらい待ったかな〜。寒いのに、ここまで待ってふつ〜パスタ食べる〜?しかも、今日風邪引いてどうするって感じだけど。やはりランナーが圧倒的に多かった。みんなカーボローディングかぁ。いやあ、Wはここのラザニアがお気に入り私も迷った挙げ句、シーフードラザニアに。これが、でっかいの〜。しかもソースがいっぱい。さすがにソースとチーズは少し除いて食べる。ここは雰囲気がいいかなあ。しかもサービスも悪くない。ちゃんとウェイトレス、ウェイターもいるけど、役割が分担されているせいか、結構手際よくやっていた。本来なら、たらふく食べるべきではないのに、満腹 ビクトリアに言った際は、ここへ。ダウンタウン中心地です。お薦めお腹がいっぱいになり、帰路へ。



夜のビクトリアも悪くないね〜。きれい。夜景は頑張ってとっても、手がぶるぶるするね〜。帰りがけに見ると、、既にフィニッシュラインも完成し、いよいよ明日はマラソン!!

**こんなぐーたらな時もマラソン前日には必要ね(自分に言い聞かせている)
いやいや、みんな同じなんだね。仕事してたら、やたらにオカナガンやビクトリアにマラソンに行くっていうお客さんが多かったです。もしかしたら、雨が降ったらとか行ってジャケット買う人、もちろんジェル、パンツ、手袋とか・・・いやいや、みんなLast minute shoppersでした。今日はさすがにレース前に靴を買う人はいなかったかな?先週は結構いたけど。だけど、私もビクトリア行くよって言えば、話は合うからよかったけどぉ。

ではでは、明日から行って来まするわ。

追伸:日系人のお客さんで、井伊っていう方に会いました。「井伊?」すごい珍しいし、その時は聞かなかったけど、もしかして「井伊直弼」の子孫?すごいなあ。
今日の夜は普段なら、マラソンクリニックで走る日。だけど、今日はごはん!!だけ。お腹空いたぞ〜 食べるぞ〜!!と思いきや、「ちょっと気を付けたほうがいいんじゃない?」と耳元でエンジェルが囁く。「昨日も夜に外食しちゃったでしょ〜」って。というのもRRで知り合ったRachelは前にはハーフマラソンのクリニックで一緒で、今回5Kクリニックを教えていてもっといろいろ話すようになった。だけど、彼女はポートランドへ引っ越すことに・・・で、もうすぐ行ってしまうので、走った後でご飯を食べに(シャワーなしで、ちょっと怖いよね)。そう、迷いながら、マルガリータとクリーム系ラビオリにしておいた(昨日の時点では、ちょっとガールズ・ドリンクだし、炭水化物食べとかんと〜と余裕かます!)なので、今日はちょっと抑えめにと・・・いやあ、まあ、普段が大食漢なので(私の食べ物好きはご存知の人はそうですよねぇ)、抑えたぐらいがきっと普通の人と同じぐらい。ドリンク、アペタイザーとゆっくり注文していたので、なかなかご飯が来なかったけど、私はジャンバラヤにしちゃった。また思いっきり炭水化物!だけど、今日はアイスティーに。

今日来た人は10人前後。思ったより全然少なめ。結構早く目的地に行っちゃう人も多いのかも。だいたいは、ビクトリア、オカナガン、ポートランドだ。やっぱりね〜、そりゃあ、マラソンの話になるわな〜。みんなきっと心の中では落ち着かない。何を着るとか、目標時間はとか、どこ泊まるの?どうやって行くの?誰行くの?な〜んて、いつも話していることなのにね・・・きっと確認の意味で。そうすれば、お互い落ち着くんだろうね。だけど、どうでもいいことも話してたりしてたけど・・・スキー、スケート、ローラブレードとかバランスを問うスポーツの話をしてたり、トライアスロン、自転車の話とか・・・やはりスポーツ?で、私は小学生の時に一輪車とか体育でしなきゃいけなかったとか、竹馬を作って学校で練習しなきゃいけなかったって言ったら、異様に興味を示された。きっと新鮮だったんだろうね。よく考えるとサーカスの学校みたいだね。いやあ、どこでもやっているとは限らないと思うんだけど、一輪車とかは体育大会で競争で乗らないと行けなかったから、やらざるを得なかったけど、難しかったよなあ。竹馬はきっと田舎だからかな?山に行けばだいたい竹があるから、取って来て家の父親に作ってもらった気がする。それで、竹馬大会なんてあって、運動場何周できるかなんてね〜。すっかり昔のことだから、忘れてたけど、よく考えると変な学校かい?

話がそれたけど、どこのマラソンに行ってみたい?という話をしていたら、インドのムンバイ(旧称ボンベイ)、パリ、中国の万里の長城、キリマンジャロとかねえ。そんな話になった。RRで去年はキリマンジャロで走るというパッケージがあったのと、万里の長城はどっかでまた見たな〜!いやあ、と時間がないと、そんなに簡単には行けないけど、やってみたいよね。万里の長城とかすごくない?長城走ったって行ったら、自慢できるよね。だけど、かなりきつそ〜。あとは、結構みんなムンバイに行きたいって行ってたなあ〜。だけど、食中毒にあたったら大変だね〜なんて。かなり夢は広がるわけですが。

そんなこんなでめーいっぱい結局食べ、。デザートはな〜んて、ウェイトレスが来る。お腹がいっぱいだから、いい。だけど、「パンプキン・チーズケーキってシーズンものがあるよぉ、別腹だから食べれる」って、小悪魔が耳元で囁く。「だめよ、もういっぱい食べたでしょ〜」と。普段なら、絶対の勝ち!今日はと飛んでいたみたい。お〜っと、おみやげ忘れるところだった、Wにチキン・ウィングス買って帰んないと・・・いやあ、前から読んでいる人はWはまたこれ食っとんかいと思われるでしょうが、その通り!飽きまへんな〜!

ということで、あとビクトリアまで2日となりました!!走るしかないね〜。

追伸:今このブログを書いている時に東京マラソンからメールが。めちゃめちゃドキドキ なっなんと、Congratulationsじゃないっすかあ。マジ、まじ。どうする。行かなきゃ〜、キャ〜。もう既にパニック状態に陥り!実は結構当選する気がしてたんだけど〜、マジ、キャ〜。
いやあ、今週末にあるビクトリアマラソンの準備と言う訳ではないけど、髪の毛切った。ほんと、バサバサだったので、時間の問題だったんだけどね。私はどうでも母親譲りで髪の毛の量がとっても多くて、しかも両親からくせ毛をもらう。なので、切ってもらったあとの髪の毛の量、うわ〜素晴らしく多い!!かつら作れそ〜!まあ、私の髪の毛なんて売れそ〜にはないけど・・・ 

今までかつて会った人の中で私より髪の毛が多いなと思った人は2人 髪の毛の束握らせてもらって思った。いや、惨敗 でも、ちょっと感動してみた 私より多い人がいた!なかなか、ここまでの人はいない。だけど、ベトナムだと髪の毛が多いのは美人なのよね 髪の毛が多いのは幸福になるという言われ伝えがあると聞いたことがある。(都合がめちゃくちゃいいって!)

なんと言っても、頭を振ったときの軽さ、そして洗った後乾かす時間の短さ。絶対1パウンドぐらい減ったな。イコール=体重減!走るのにちょうどよい かなり単純だって? 冗談抜きで、放っておいたら、髪の毛の中は余裕で3、4時間乾かない・・・ これはこれからの季節風邪引きまっせ。

何はともあれ、最近はヘアサロンだけは、日本のヘアサロンで落ち着いた。図書館の近くにあるArk Hair Salon。オーナーのヘッドスタイリストのKさんにいつも切ってもらう。いやあ、とっても明るくて気さくなので、お話ししていても落ち着く!それにとっても流行について行っていない私でも、適当にちゃんと切ってくれるし、色もいいぐらいに入れてもらえる!おすすめ!

そうそう、髪の毛の量が多いと、これがなかなかヘアサロンでもいい経験がないんだなあ。これが・・・好きで私も多い訳ではないけど、こっちに来て初めて言った所は最悪。ブローしている時にため息つかれた しかも、技術もいまいち・・・ 梳いてほしかったりするけど、あんまり量が変わんないとかね。で、近くに行ったときも、冗談なのは分かるけど、髪のフェアな人と結婚すると子供は助かるよとか・・・ どうでもいいけど、大きなお世話 探せばこっちでもいい所はあるんだろうけど、今の所で落ち着いた。

いやあ、だけど髪の毛はくせ毛ってコンプレックスが昔はあったよな。今は落ち着いたのもあるけど、短くするとくせが出て、パーマかけてんのって言われたことがある。最近は変わったと思うけど、日本の学校の校則、どうでもいいところで規定があるよな。私の兄妹はみんなくせ毛で、日本人の中でいうと髪の毛の色が明るい方だったので、一番上の兄の頃は中学で校内暴力がひどい頃(金八先生のドラマのようにすごかったらしい。)で、先生もストレスが溜まっていたのかお気楽生徒に「お前、髪の毛染めただろう。黒くしてこい」だってさあ。「あの、地毛なんですけど」当時はとっても聞く耳持たず。仕方なく、黒く染めていったらしい。こんな校則ってあほらしいよね。髪の毛の色が問題じゃないのにさ。私はストレートかけたりしてた。パーマはパーマでもストレートパーマなら、怒られなかったよね。よくわかんね〜の。

髪の毛のコンプレックスってのはどこでもあるらしく・・・ 彼のWもいろいろあったらしい。彼は、お父さんはアメリカ南部出身の黒人、お母さんイギリス、アイルランド系の白人。で、彼の場合はウェイビーなヘア。よく女の子と間違われたらしい。妹はアフロ。で、バンクーバーだとアフロ系のヘアサロンが少なかった。それに、やはり黒人社会でもストレートでフェアなほどいいという考えがまだまだ根強く残っていると「good hair」「bad hair」と分けられるらしい・・・ やはり奴隷制度のあった歴史から考えると、やはりまだまだ根強くいろんな面でコンプレックスがあり、こんな風潮が残っていると思うと胸が痛い。

最終的には、みんながみんな、自分が持って生まれたものを好きになれる。そんな社会だったらいいなと思う。なので、自分の髪の毛だけじゃないけど、自分自身は好きじゃないと実際他の誰も好きになってくれないからな・・・根底はそこにありかな。「自分大好き」っていうとってもナルな終わりになってしまった。あれ?!(話がいつも発展して行き、自分でも考えてなかった展開で終わる・・・こんなのに付き合ってくれてありがとさん



今日は9月の最終日。かなりバンクーバーの秋らしくなり、だ。Breast Cancer Foundation(乳癌リサーチのための基金活動、ピンクリボンのシンボルでおなじみ)のためのCIBC Run For the Cureというランのイベントがあった。5キロだけど・・・イベントの日のコンディションとしては最悪 雨がかなり降っていて、しかも風が強い。寒い。で、ボランティアとして、ランニングストアRRのブースの担当。今年からは外へ・・・最悪・・・かなり寒い。気温は11度となっていたけど、体感温度は5度。ブースの場所はちょうどBCプレイスというスタジアムの外でスタートラインとフィニッシュラインの間・・・本当はフィニッシュラインとかで写真とか撮ればよかったんだけど、カメラも忘れたし、寒くてそんな感じでもなかった。

だけど、本当にたくさんの人がこの雨が降る中、走っていた。びしょぬれになりながら・・・サバイバーの人を始め、家族や友人を乳癌で亡くなった人、サポートしている人。いろんな人がいた。私も走っていた方がもしかしたら、楽しかったのかもしれないけど。だけど、"I'm running for..."(〜のために走っている)というゼッケンもあり、メッセージや名前を書いている人が多かった。やはりこれだけの人が乳癌を患い、また不幸にも亡くなってしまっているのかと思うと心が痛んだ。幸いにも私には親戚や家族には乳癌の人はいないが、女性としてはやはり他人事ではない。今では、医療技術や治療が進み、以前に比べれば不治の病ではなくなったのかもしれないが、進度にもよるだろうし、がん患者は断然増えているに違いない。私の親戚にもやはり何人かいる・・・本当なら、募金を募って、貢献できたらよかったのだろうけど、まだここまで自分には近いものではなかったらしいが、今回は参加してみていい経験になったと思う。

実際、今回の仕事としては、ピンクリボンのロゴの入ったランニング・ルームの商品を売るということだったけど、商品の10ドルは、基金の方へ行く。ほとんどの人が気持ちを持って買っていってくれた。だけど、普通の商品よりもちょっと高かったりするので、いろいろいう人もいたけどね。雨が降って寒かったせいか、帽子、手袋、耳当て、厚手のフリースジャケットはよく売れた。しかし、マニュアルなため、すべて手書き・・・レシートもクレジットカードの伝票も。せめて、クレジットカードのガガってするマシーンが(伝票とカードを置いて、こする機械ね)あれば、速かったけど・・・しかも、手がかじかんで、速くかけね〜つ〜の。だけど、カード情報は大事だし、後で審査をする分けだから、電話番号も照会しておかないとやばいよね。(昔、日本で信販会社で働いてたの思い出すよん。まだまだ日本はカード社会ではなかったけど・・・当時。)

もっと天気がよければ、もっとイベントの後、いろんな人が残っていたと思うけど、たくさんの人がお店の方でも売っているのよねな〜んて、今日は買わずに帰っちゃう人も多かった。実は私もピンクのフリースを買っちゃいました。普段はピンクなんて着ないんだけど・・・まあまあ、たまにはね。

写真のロゴは今年のシンボル。二つのリボンが重なって、ハートの形になっていてかわいいし、メッセージがこもっていていいかな。だけど、またボランティアをするとしたら、もっとイベント自体に関わりたいかもしれないなあ。今回は普通に仕事しているのと変わらないって感じだったから。イベントに興味がある人は
https://www.cibcrunforthecure.com/html/en/about.asp■■■
いつも毎年映画祭は行くようにしている。だけど、忙しいというほどでもないけど、いろんなことが頭を巡り、あれやこれやとしようと思っていると、全然映画祭のフィルムについて調べられていない。忙しい時でも、必ず何本かは見てたのに・・・何だか気分が乗らないのだ。

去年と今年はビクトリアマラソンの時期と重なっていて、余裕がない 今年は去年より忙しくないはずなのに、結局夕方に仕事が入っていたりすると、映画に行けなかったりする。仕事も真面目じゃないけど、探そうとしてるからか、何か疲れる。しかも、いろんな大学に入学願書を出そうと思っているので、心が落ちるかないらしい。

学生のときは30〜40本を映画祭の間に見て、1日3本見たりすると、逆に目が疲れて見たくても、眠くなっちゃったりすることもあった。この映画祭のartsyな雰囲気が結構好きだ。しかも、普段は見れないような映画も見れるし。まあ、もちろん当たり外れはあるけど、こう決まりきったエンディングでないのがいい。だけど、本当の映画好きは、この2週間の間に仕事の休暇を取り、ボランティアとかしながら、目一杯フィルムを楽しんでいる。私はそこまでにはなりきれていないのかもしれないけど。

時間を調整して、やはりせめて1本は見よう!このクリエイティブなエナジーはポジティブさを与えてくれ、クリエイティブになれそうだし。だけど、1本って決めるのが意外と難しいな。なかなか見れそうにないフィルムから選ぶべきだろうな。

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何故か最近、Youtubeで美空ひばりとか、笠置シヅ子とか高峰秀子なんかの古い戦後の歌を聴いている。「アキラ」っていうアニメの中に出てくる古い歌を彼は探していたらしく、暁テル子の「東京シューシャインボーイ」という歌らしい。こっちでも"MASH"というテレビドラマに使われていたとか。で、この時代の音楽を聴いていたら、そう出て来た。だけど、この時代の歌手はやはり歌唱力があるし、時代を物語るものや明るい歌、風刺的な歌なんてあって面白い。だけど、知らないようで、絶対と言っていいほど聞いたことがある歌が多い。「東京ブギウギ」、「銀座のカンカン娘」、「お祭りマンボ」なんていう有名どころは知っているかな?いやあ、美空ひばりって小さい頃から歌っているけど、子供だけど、子供の歌唱力ではないよね。今更だけど、やっぱり歌がうまい。なかなかここまで上手くて、カリスマのある歌手ってやっぱりいない気がする。知らなかったけど、意外にメキシコとかのひばりファンが多いことにびっくり。時代錯誤する感じがするけど、たまに聴いてみるのはよいかもしれない。
この間の続きではないけど、少女漫画の話。やはり私達の世代ってマンガ読みながら、大きくなったよね・・・ きっと・・・ 私は兄がいたので、少年マンガも少女マンガ両方とも読みながら大きくなった。そうそう、少年ジャンプとかころころコミックとか兄の部屋のこっそりいないうちに入って読んでいたっけ。少女マンガデビューは多分小学1〜2年かな?私はかなりの「りぼん」派だった。だけど、「なかよし」派の友達がいたので、いつも交換してすべて読んでた。で、もう少し大きくなると、別冊マーガレット、フレンドを買うか、交換するかしていた。それで、たまに「花とゆめ」系も読んでたよね。今では、きっとマンガ喫茶なんかで、買わなくても読めるし、古本屋に行けば安く買えるよね。実は広島市内にはマンガ図書館があって、やっぱりいろんな人がいっぱいいて、読んでいた。ここは、古い単行本とか月刊誌、週刊誌なんていうのも展示してあった。(東京都には私設の現代まんが図書館、京都にはマンガミュージアムってのがあるのね。)

マンガって私の父の世代にはちょっと抵抗があるのかな。マンガはよくないというイメージがあったみたいね。(だが、手塚治虫が亡くなった後、『ブッダ』のシリーズ買ってたけどね)だけど、マンガってビジュアルであるだけに、思うんだけど、いろんな知識取得、勉強?にも助かったよね?日本の歴史マンガとかはやっぱり面白いし、ビジュアルがあるほうが絶対覚えるよね。大和和紀の『あさきゆめみし』はやはり源氏物語の複雑な人物関係を知るにはもってこいだった。(実際のところ、マンガの人物描写と物語の人物描写は違っているところもあるらしいんだけど・・・)そうそう、私はこういう複雑な人物関係、ドロドロ恋愛関係の小説とかのお話は好きだった(あくまでも話の上で。実際に巻き込まれるのは面倒くさい。実際なら、おしょうゆのようなサラサラ関係が好き)。あとは、エッチなマンガとか兄が持っていて、いろいろ性知識もね・・(違うかぁ・・・、間違った情報の可能性も大よね) それはともかく、中学とか高校とかよく内職した。後ろの席なら、机の中に広げて読んだりとか、教科書の上にのっけて読んだりとかしなかった?もろバレバレだとも思うけど・・・ そんなことしてたの?ってこっちの人には驚かれたりもするけど。

中学に入ると、マンガと同時進行に、赤川次郎のミステリー小説と藤本ひとみのちょっとした歴史の入った恋愛?小説ってのにもはまって、大学に入ってからはマンガとは縁がなかったほうかもしれない。だけど、カナダに来て、大学院に行ってから、日本近代文学や女性学の授業でマンガが登場!かなり新鮮だった。あるクラスメートにセミナーで、「なんで日本のマンガの描写は、日本人でもみんな白人っぽいの?」って聞かれた。「白人?う〜ん、そう言われてみれば・・・ブロンド・ヘア、大きな青い目、高い鼻、異様に長い手足・・・」この時まで考えたことなかった。「なんで?」と言われても・・・「日本人の読者たちは日本人として読んでいて、違和感を感じたことがないんじゃない???」いやあ、はっきり言って、答えられなかったので、言葉を適当に濁すしかなかったよね・・・ いまだにこの「なんで?」にははっきりとした解答が見つけられていないと思う。江戸末期にアメリカの黒船ペリー艦長が日本に来て(強制的に)開国され、日本が近代化へ向かう。そして、西洋に追いつけ、追い越せとアジア各国を侵略する帝国主義が深まり、第2時世界大戦、太平洋戦争、そして”敗戦”となった。この近代化する過程において、また戦後にかけて、大きく西洋人やアメリカ人の理想化、そして憧憬、さらには相反する嫌悪感というのか、コンプレックスによって、この白人らしきマンガの描写はできあがったのではないか。などなどいろいろ疑問視するところである。もちらん、ディズニーに影響されたのも多いのかもしれないが・・・これは、もっと深く掘り下げてみないと分からないな。きっといろんな説があるに違いない。

美の意識だってそうだよね。二重まぶた、すらっと高い鼻、長い足、白い肌などなどがよいとされているのも、この西洋人の容貌が理想化されているからだろう。もちろん、これは日本だけではなく、たくさんの国で、またアメリカ、カナダでもそういった風潮はまだまだあるだろう。

この点について、皆さんのお考えはどうでしょう?

少女マンガについて・・・実は、今回のセミナーで、「やおい」というジャンルが少し分かって来たかな(きっとかなり自己満足)と思ったので、書いてみようと思ったら、全然違う方向へ・・・これについては、また今度

*ちなみに、広島市立まんが図書館です
あとビクトリアマラソンまで、2週間になっちゃった。だけど、今日の23キロはいまいち・・・ ここのところ、木曜日にしているスピード練習では調子がよかっただけに、なぜ・・・ う〜ん、今まで走って来た距離よりは短い。だけど、マラソングループと一緒に長い距離を1ヶ月ぐらい走ってなかったせいか、違和感といい、練習が足りないかなと思わざるをえない。というのも、ほとんどのランナーは今日の走りはとっても良さそうだったから。来週の土曜日の16キロが最後の仕上げで、その後は長い距離は走らない。今更、あがいてもどうしようもないので、今日悪い走りがあったぐらいの方がいいのかもしれない。

今日はバイクルートで、サイプレスからイースト・バンクーバーへ。トラウト・レイクとかも通り過ぎ、でとっても心地よい。だけど、足はちょっと重いし、筋肉もあれ?こんな時点で固くなってきたよぉ。グループのPは夏は結構休暇を取っていて、思ったように走れず、ハーフに出るらしい。しかも、膝、IT Bandがずっと痛かったらしい。いやあ、彼女自身も言っていたけど、我慢強い。痛いことをあんまり言わない。私なら、走りながらもグダグダ言ってそうだ。私も同じ怪我をしたので、痛さはよく分かる。明日フィジオ・セラピーに行くと言っていた(日本でいうとなんだろう?整骨院でもなし?)。彼女の状況に比べると良い方だろう。レース前に怪我なんて最悪だよね だけど、彼女はとてもポジティブなので、私も悪いことは考えないようにしよう!実際難しいけど・・・自分のやってきたことを信じるしかないな。

Shojo Manga! Girl's Power! な〜んていう、展示会、レクチャーについて昨日、今日と行って来た。昨日は日系センター、今日はUBCまでテクテクと出かける。昨日はこの少女漫画ブロジェクトを作った人の一人、徳雅美教授の話を聞きにいくという予定でしたが、それプラス、あの漫画家の竹宮恵子先生も、そして少女漫画家評論家の藤本由加里先生もいた この日の内容は、北アメリカの人にも少女漫画を知ってもらおうという意味で、プロジェクトを始めたきっかけ、軽く少女漫画の歴史、漫画家の紹介に終わった。終わった後で、竹宮先生の英語版の『地球へ』"TO TERRA"を購入し、サインをもらう!しかも、握手をおねだりし、快く握手をしていただく。キャ〜 さすがミーハー 最近、竹宮恵子は、京都精華大学で教えているとは聞き、またカルフォルニア州立大学、チコ・キャンパスに行ったというのは、ウェブで見ていた。

実際のところ、ここ8年ぐらいまでは竹宮恵子のマンガはあまり知らなかった。私よりはちょっとだけ上の世代の人の方がよく知っているのかな?だけど、「やおい」といういわれるジャンルの先駆者とも言われている。「やおい」って知っている人は知っていると思うけど、「山なし、落ちなし、意味なし」の頭文字から来ているんだよね。といっても、最近までしらなかった人です。主に少女のための「少年愛」が描かれたジャンル。いやあ、だけど何がきっかけでそういった作品を描くようになったのか、またスタイルの変遷などマンガ家の先生自体の話を聞くのはとっても面白いし、新鮮

すっごく中途半端なんだけど、この辺はもっと詳しく後日書きたいなとおもってまする。実は眠くなって、書けそうにない。 一時的にお休みなさい

追伸:もし興味のある方は明日9月21日の金曜日午後6時ー8時まで、ダウンタウンのUBCのロブソンスクエアでトークがあるそうですよ。私は明日は残念ながら行けませんが・・・
初めてRunning Smileという日本人ランナーが集まっているという練習会に行った。今度11月に行なわれるというHaney to Harrisonという駅伝にも参加するということで、私もチームにランナーで参加することになり、ちょっとドキドキものだ この大会に参加したというのは、ラン・クラブの人からよく聞いていた。それに時々のそのマークの付いたT−シャツやベストを着ている人がいたし。だけど、今回参加するというまでは、あんまり気にしたことがなかった。

日本人のランナー人口は多いのはよく聞くけど、バンクーバーでというと、いるようでいないもんだろうと思っていたら、今回は11人集まるということで意外といるんだなと思って、嬉しく思った。今まで参加していたランクラブは、日本人?はいるか、いないかって感じで、もちろん日系人の人は時々いるけど。一人で走るよりは一緒に走る方が楽しいし、絶対続けられると思う

ノース・バンクーバーのコミュニティー・センターに集まり、そこから走る。このコミュニティー・センターのきれいさや広さにはびっくり。なんて、いい所なのかしら。そう、知り合ったのが、ミクシーを通してなので、本名を知らない。で、ハンドルネームで呼び合うのも変な感じ(本名を使っている人は別だけど・・・)。だけど、日記を通してなので、どうしても最初はそのインパクトが強い。だけど、少しずつ本名に馴れるかな。本格的な練習は10時から。だけど、前もって練習するという人もいるということで、9時に行った。最初は小雨が降っていたけど、悪くない天気で、ウォームアップ。だけど、さすがにノースバンクーバー。坂が多いね。ここで、ずっと走っていると足が鍛えられそうだね (だけど、更に足ばっかり大きくなりそ〜だ・・・) シアトルとかサンフランシスコの人もこうやって練習しているのかな?あとは日本だと、長崎だと坂道ばっかりだよね・・・

さて、10時15分からはもっと人数も増え、ランニンググループらしくなる。ノースバンはやはりきれいだよねえ坂道は多かったけど、結構坂トレーニングになってよかった。ただいつも走っているマラソン・クリニックのグループは32キロを走るということだったので、ちょっとだけ不安、焦りを感じ、距離を伸ばすことを考えちゃったな。本当はもっと一緒に走って、話を楽しめればよかったんだけど。一汗かいてシャワーを浴び、いざランチへ出動!いつもなら、シャワーなしで、コーヒーとか行くのよりは絶対いいね・・・お腹すいたよぉ。お子さんたちも参加して、わいわい。やはり、子育てをしながら、走るという人は大変だなあとつくづく思った。時間に制限があるもんね。私はまだまだお気楽なものだなあと思った。

ランチの間、駅伝のお話が進んでいましたが、車をどうするかなど・・・いやあ、ホント全然参加してなくてごめんなさいって感じで、全然別の話ばっかりしてましたねえ。いやいや、お任せばっかりもよくないとちょっと反省 今頃になって、詳しくウェブ読んでみました。いやあ、働いているRRでも、昔走った人やチームに入っている人もいるので、聞いてみようと思って、マネージャーに聞いてみたら、あっ、こいつダメだあ。結構分かってないというか、任せているんだろうなって感じで、全く手応えなし。もっとちゃんとオーガナイズしている人に聞いてみよう!

いやいや、また楽しい練習ができればいいなと思ってまする。
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20代前半にカナダに移住、はや11年目を迎え、まだまだ風来坊です。大学院留学、英語講師の経験を経て、また30半ばにして学生生活へと戻るべく準備を進めています。5月に初マラソン完走!更に走り続ける。。。
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